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zoom RSS 一滴通信20号

<<   作成日時 : 2016/12/19 16:47   >>

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本日、若州一滴文庫から「一滴通信20号」が送られてきました。6月に一滴文庫を訪問した際、学芸員のT岡様から、水上文学ゆかりの地を訪ねた紀行文を一滴通信に投稿してみませんかと誘われ、投稿したところ採用されました。このような文学に関係した書物に掲載されるなんてことは一生ないと思っていたのですが、人生とは不思議なものです。誘っていただいたT岡様に感謝いたします。
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        水上文学ゆかりの地を旅する
                        シンガーソングパドラー

六月下旬の一週間、若狭から丹後への旅に出ました。若州一滴文庫にて若州人形座公演「はなれ瞽女おりん」を観劇してからちょうど一週間後に若狭和田浜で開催される「若狭路パドリングフェスタ」への参加が決まっています。この期間を活用して水上文学ゆかりの地をカヤックやマウンテンバイクなどを使い、できるだけ人力で旅し、水上文学の背景を少しでも理解しようと考えました。
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まず初日は、カヤックで青戸周辺と小浜湾を漕ぎました。
早朝、「うみんぴあ大飯」の西側の佐分利川河口岸からスタートし青戸の大橋をくぐって大島犬見に向かいました。早朝の青戸の海は凪いで穏やかです。赤い青戸の大橋のかなたに若狭富士が見えます。頭に雲がかかって全体は確認できませんが、美しい形が想像できます。カヤックを北西に進め、雪門和尚の眠る海印寺を入り江から見ようとしましたが、屋根をわずかに確認することができただけでした。
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スタート地点に戻り、水上先生も子どものころ遊んだはずの佐分利川を河口から遡上してみました。国道と小浜線の橋をくぐり、行けるところまでと思い漕ぎましたが、行けたのは温泉施設の入り口に架かる橋の下まででした。途中の岸辺には、桜並木や船着き場によく見られる石段がありました。Uターンして下っていくと橋の上から元気な「おはようございます。」という声が聞こえます。登校中の大飯中学校の生徒たちです。
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河口岸に戻りカヤックを車に積んで、屋根しか確認できなかった海印寺をめざします。青戸の大橋を渡り、左折すると犬見です。犬見集落は道が狭いので車は諦め、マウンテンバイクで行くことにしました。曲がりくねった狭い路地を上っていくと赤っぽい屋根、白壁の寺院が現れましたが、人の気配はなく無住のようです。
雪門和尚のお墓を探していると喪服を着た複数の方が現れました。法事のようです。出身が犬見の方だったので雪門和尚のお墓について尋ねると、「分からないので、この寺を担当している和尚が見えるから、そちらに尋ねたら。」とおっしゃるので、その和尚様を待ちます。八十歳は超えているだろうその和尚様は、「歴代住職の墓なら、斜面の上の奥の方にあるはずだが。」とおっしゃいましたが、雪門和尚の墓についてはご存知無いようでした。
行ってみると歴代和尚様の墓がありましたが、浅学のため雪門和尚の墓がどれなのか読み取れません。以前拝見した写真と比べるとかなり荒れていて、時の流れを感じ、少し淋しい気持ちになりました。
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気を取り直し「はなれ瞽女おりん」の在所仏谷まで小浜湾を漕ぐため、国道二七号線を東に向かいます。出艇に適した浜を探していると水産高校の北の小松原地区に見つけました。
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静かな良い浜です。仏谷と対面しています。小浜湾が北東に入り込む入り口あたりです。仏谷に向かうと右に児島という小さな島が見えます。左には双児崎が見えます。「児」とは乳飲み子という意味があるそうですが、水上先生が孤独な「おりん」の出生地として仏谷を選んだのは、そんな地名にも関係しているのかなと想像は膨らみます。
今、仏谷の海に浮かんで、「在所の海の波の音は耳の奥の方に残っている。」とおりんが語っていたのを思い出しています。
小さな仏谷集落と児島をかすめ、小松原に戻ります。帰りは、久須夜が岳から吹き降ろす斜め後方からの風波にやや翻弄されながら出艇地点に無事着きました。

二日目に向かうのは「五番町夕霧楼」のヒロインお夕こと片桐夕子の生まれ故郷と言われる丹後半島は伊根町にある津母です。
途中、青葉山南麓にある水上先生が助教をしていた青郷小学校高野分校跡を訪ねました。電源立地促進対策交付金で建てられた新しい分校も閉校になり、旧分校はツタに覆われた廃墟になっていました。道でお会いした女性の話では、児童数は三人になってしまったとのことでした。ここでも青葉山を見上げてみましたが、またしても頂上には雲がかかっていました。
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分校を後に津母を目指します。舞鶴を抜け由良川沿いを北上し栗田湾岸を走り、日本三景天橋立を経て丹後半島へ。
狭い道ですが、あえて海岸線を走ってみました。いくつもの入り江を見ることができます。単調でなく変化に富んだ美しい入り江ばかりです。どの入り江にも港があり、住む人々が海と深い関係をもって生活している様子がうかがえます。
特に、伊根港の舟屋群とその町並みは情緒があり、忘れてしまった日本を感じます。そしていよいよ本日の宿泊地、泊到着です。
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漁師民宿のご主人に海の様子をお聞きすると、「今日は、うねりが強く漁には出なかったが、明日は行けそうだ。」と答えていただき一安心。早速明日の計画を練ります。
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まず、車で伊根港まで行き、マウンテンバイクで泊まで戻り、泊を出艇した後津母に向かい、丹後半島東岸沿いを伝いながら伊根港を目指すことにします。
翌朝、天気は良好。海は凪いでいます。車を置きに伊根港へ。伊根の街並みを通り過ぎ日出地区にある湾に浮かぶ青島を望む観光駐車場へ車を置き、マウンテンバイクで泊まで戻りますが、峠道の上りのつらいことと言ったらありません。下りは、ほとんどペダルを漕がずに済みました。アップダウンの多い地形であることが体感できました。
いよいよカヤックで泊から津母経由で伊根港を目指します。およそ10キロメートルの行程です。泊海水浴場から出艇し、湾を出て左に向かいます。いくつかの岩をよけながら進むとすぐ小高い丘の上に旅館が見えてきます。そのすぐ左下の斜面にへばりつくように人家があり、海岸に小さな港が見えてきました。津母です。
Uターンして伊根港を目指すと右手に海崖と大小さまざまな岩が点在しています。このどこかで見たことのある岩の並び。そうです。映画「五番町夕霧楼」で夕子が夕霧楼の女将「おかつ」「久子姉さん」と定期船で宮津に向かった時のあの海の景色です。
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その後もしばらく右手には次々とあの映画のシーンが現れます。今そこを漕いでいるかと思うと何とも言えない気持ちになります。残念ながら見上げた斜面に見えた百日紅の木は確認できませんでした。
徐福伝説の新井崎を通過し、鷲岬と亀島を回り込むといよいよ伊根の舟屋群が見えてきます。入り江からは舟屋群が一望できます。海側から見るとその数と見事なつくりに驚かされます。
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沿岸に並ぶ舟屋を見ながら、車を置いた日出の観光駐車場に向かいます。湾に浮かぶ青島は、荒波からこの伊根港をずっと守ってきたのだと駐車場でお会いした地元の方がおっしゃっていました。

泊の漁師民宿でもう一泊し、沿岸の道路を走り丹後半島海岸線を反時計回りに一周して、次の宿泊地若狭和田に向かいました。
若狭和田浜に到着したのが、午後三時と早かったので「誰もいない海」をスタンドアップパドルボードで水上散歩しました。今度こそは・・・と意気込んで浜に向かいましたら、うれしいことに雲一つなく、和田浜から湾の向こうに若狭富士青葉山の全景を拝むことができました。
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素晴らしい眺めです。この海は美しい海として三〇項目以上の条件をクリアーしたブルーフラッグに認定されたとのことです。この美しい誰もいない海にたった一人で浮かんでいることの贅沢を感じながら、湾内を散策しました。これで今回の水上文学ゆかりの地を訪ねる人力旅は終了です。

次回は、「故郷」の中でキャシーやポンちゃんが泳いでいたプライベートビーチや音海周辺をカヤック等による人力旅をしたいと考えています。
週末には、若狭の若者たちが立ち上げた「若狭路活性化研究所」主催の若狭路パドリングフェスタでした。若者たちが若狭の良さを生かし、地域を活性化しようと努めている姿を目の当たりにし嬉しい気持ちになりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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